「フルリモートで働く」
こんな広告を最近よく目にするのですが、その度に思うのです。
「フルリモート、しんどかったよ。」
4、5年前の記憶が蘇ります。
うーん。しんどかった。うん。
コロナを機に、
世間でも一気に広まった在宅勤務。
わたしの勤める会社でも、当時ものすごい勢いでインフラ整備が進み、コロナ真っ只中では社員のほぼ全員に在宅勤務の指示。
そんな中、コロナ収束後に在宅勤務が定着したかというと、
ぜんっぜん、定着してない。
役員クラスの超エラい人たちが出社するもんだから、その次のエラい人たちも出社するようになり、
結局、わたしのような“しもじも“の社員は、特に上司などへの報告などの際には、出社していないと、なんだか変な空気に。
そんな中、鉄の心で(?)全然出社しない人たちと、律儀に出社している人たちとの間で摩擦が起きて、結果的に「原則、全員出社」の会社ルールが示されるように。
現在は、何か理由があれば、
在宅勤務OKらしい。
在宅勤務は育児家事との相性良し
わたしの場合は、いちおう「子育て」と言う理由があるので、堂々と(?)在宅勤務ができてしまう身です。
(これが、行き過ぎると「子持ち様」とか言われるやつね。)
コロナ真っ只中で第一子が誕生したわたしは、育休復帰後も、依然としてコロナ真っ只中で、会社からは100%在宅勤務の指示。
結果どうだったかというと、
ウチの子、夜泣きが超絶ひどかったので、
在宅勤務は正直めちゃめちゃ助かった…!
隙間時間に、ちょっとでも横になれる。
サイコー。
ほんと、昼も夜もまともに寝られず、
寝不足すぎて、本当に本当に、
やばかったのです当時は。
出社していれば通勤時間だった時間も、
まるっと家にいられる。
ゆえに、少し長めに朝も寝られるし、お昼休みの時間には洗濯物も片付けられるし、夕飯準備もできるしで、家事もはかどる。
当時は、わたしも今ほど時短家事を極められていなかったのです。
育児家事と、在宅勤務の相性が良いことは、
まず間違いない。
フルリモートは、超孤独
在宅勤務は育児家事と相性は良いけど、
じゃあ仕事はどうだったかというと、
超孤独。
この一言に尽きる。
職場にいれば、ちょっとしたタイミングで、
周りの人と雑談したりするじゃないですか。
会議の後の立ち話で、次のアクションの方向性がなんとなく決まったりするじゃないですか。
そう言うのが、いっさい、ないんですよね。
フルリモートって。
意思を持って、チャットしたり、コールしたりしないと、誰かとは繋がらない。
相手の様子も見えないから、忙しいのか、そうじゃないのかも、分からない。
特にリモートでしか会ったことのない人は、
人間性もイマイチ分からないので、雑談するのも気が引けてしまったり。
だから、わざわざ言わなくても良いかな…
みたいなレベルの話は、永遠にできない気がしてしまう。
会話のほとんどが文字ベースになってしまうのも、タイムラグが結構あって、ストレスになったり。
そしてずーーーーーーーーーっと家にいて、
やっているのは、
PCに向かっているか、
家事をしているか、
まだ喋れぬ我が子の世話をしているか、
のどれか。
つまり会議中以外、
マトモに喋ることがない!!
めちゃめちゃ、息が詰まる。
(あれ、オットはどこへ?汗)
ちなみに当時のわたしは、結構仕事も容赦なく多く、自分時間の持ち方も、息抜きの仕方も、あまり分かっていなくて。
結局オンオフの切り替えが難しくて、メリハリないことがストレスにもなったり。
だから、しんどかったなぁ…と振り返って思うのです。
週数回の在宅勤務がバランス良し
結局、フルリモートも、フル出社も、ぶっちゃけしんどいわけですので、
週に1〜2回リモート勤務できる環境がよい。
と言うのがわたしの結論。
やっぱり誰かと会って会話することで、アイディアも生まれるし、息抜きにもなるんだなぁ、としみじみ思うのです。
通勤時間は短いに越したことないけれど、
わたしの場合は片道1時間ほど。
この間に、本を読んだり、ネットサーフィンしたりして、オンオフの切り替えができるのも、実はけっこう良いのです。
頭の中が仕事でアップアップの状態で、切り替えられていないと、帰宅後でも子どもの話が、全く頭に入ってこないわたし。汗
「ママ、聞いてる〜!?」
会話が噛み合わないので、ムスメに怒られることもしばしば。
だから
通勤時間はムダ!
フルリモートで自由を手に入れる!
なーんて広告を見てしまうと
いやいやいやいや、、、
フルリモートはしんどいて。
通勤時間も、完全な悪じゃないよ。
って思うのです。
ちなみに、
フルリモートじゃないと、家事が終わらない!
なーんて思っていた時期もありましたが、
真に生産性を向上できるのは、その必要が生じた者だけ、なのです。
できます。
質を下げずに、家事時間の短縮をすること!
頭をフル回転して、何を削れるか、削れないか、本気で吟味して精一杯工夫をこらす。
そんなことができるのは、その必要に、真に迫られたワーキングマザーだけ、と経験上、断言できます。
色々経験を積んで、真剣に悩むと、見える世界も変わるものです。